三沢光晴

三沢光晴がリング上の事故で亡くなってから三日。やっと心の整理がついてきたので書き残しておく。


三沢光晴は僕が一番好きなプロレスラーだ。初めてプロレス観戦したときに買ったグッズは三沢光晴のサイン入りうちわだった。(この時、売り子のお兄さんが、ジャイアント馬場さんのサインを入れてあげようかと聞いてきたけど、ソッコーで断った。しかも馬場さんの目の前で。馬場さんの「ん?」って顔が印象に残ってる。)


土曜の夜、mixiのニュースで三沢光晴が倒れたのを知った。最初そのニュースの見出しを見たときは、心配ではあったけど、三沢光晴が試合後に病院に運ばれるのは珍しいことではないので、あーまたムリして闘ったんだろうなとしか思わなかった。けれど詳細を読んで驚いた。「試合中」に倒れ、心肺停止状態だと・・・?
三沢光晴はタフなレスラーだ。どんなに厳しい攻撃を受けようとも、世界一と言われた受身の技術と決して折れない精神力で立ち上がってくる。僕たちはそんな三沢光晴を見て「ゾンビ三沢」と称し、賞賛を送っていた。
そんな三沢光晴が、「試合中」に倒れた。この時初めて、これは相当ヤバいと思った。それからはネットに噛り付いて続報を待った。そして23時50分頃、「三沢光晴 死亡」の記事を見つけた。


三沢光晴が亡くなった翌日、6月14日。この日は会社の同僚の結婚式だった。けれど僕の心は晴れない。晴れるわけがない。前日、いや数時間前にあんなことがあったんだ、お祝いする気分ではなかった。一睡も出来ず、重い身体を引きずって中野まで出掛けた。
結婚式自体は新郎新婦ともに幸せそうで、見ているこちらも暖かい気分になれる、非常に良い結婚式だったと思う。けれどやっぱり心は晴れない。鬱々とした気持ちを抱えたまま家に帰って、TVとネットで関連ニュースを漁り続けた。


そして昨日。昨日の東京スポーツの一面は、三沢光晴がバックドロップを喰らった直後の写真だった。正直言って見たくないものだったし、なんでこんな写真を載せたんだとも思う。けれど僕は東京スポーツを買って、その最期の写真を目に焼き付けた。それが20年近く三沢光晴を応援してきた者の努めだと思ったからだ。

心は落ち着いてきたが、三沢光晴がいなくなったことを現実として受け止められない。「なんで?」「どうして?」がいまだに頭の中をグルグル回ってる。
願わくば残されたレスラーたち、特に潮崎、丸藤、森嶋、力皇、KENTAたちには、プロレスをメジャーなスポーツにするという三沢光晴の意志を継いでいって欲しい。そして三沢光晴が作った、プロレスリング・ノアの名前をこれからもずっと残していって欲しいと思う。



武道館に行けば、響き渡るスパルタンXと大「ミサワ」コールの中、緑のガウンを着た三沢光晴が入場してくるに違いない。セカンドロープをピョンと飛び越えてリングインする姿が見れるに違いない。どこかでまだそれを信じている自分がいる。